悟り・般若心経とは?
「悟りを啓く」とは、人の真我である「神の子の霊」の正門(微妙の法門)の扉を開く事です。
生前にこの扉を開くと、臨終時、霊は此処から抜け出て、真の故郷・極楽天へ帰り永遠の自在を得ます。
その方法が「直指人心・見性成仏」です。
「悟り」は、三つの秘法からからなります。
霊鷲山で迦葉尊者に授けられた時は、教外別伝「不立文字、以心伝心、微妙の法門」と言われています。
般若心経の中では「三藐三菩提=三つの小さな悟り」「是大神呪、是大明呪、是無上呪」このように言われています。
悟りは「天機」で、そのものズバリを公言したり、書物に記すことが出来ません。これが「密教=秘密の教え」の由来です。
それ故、大仏開眼、神眼を開く、眼横鼻直と言われたり、大仏の額に「白毫」を印たり、キリストは「十字」等で謎掛けをされるのです。
「天の岩戸開き」や「三種の神器」も、悟りの比喩です。
「微妙の法門」とは、肉体にある「霊」の出入口で誕生時、この場所から宿り生命を誕生させ、此処から出た場合のみ、極楽往生できます。
誕生時、霊が宿ると直ぐにその場所は閉まります。この場所を再び開く事を「悟りを啓く」と言います。
この場所より、霊は故郷の極楽天(涅槃)へ帰り永遠の生命を得ます。
私達の肉体には、「霊」の出入り口が五ヶ所あります。
出入りが出来る「正門=微妙の法門」が一つ、そして此処が閉まっている時の出口としての四ケ所(四門=眼耳鼻口)です。
「悟」の字の「忄」は霊の事で、「吾」は、本性の我、そして、五つ目の口の事です。
「悟り」とは、我が霊の在り場所を知る事です。
「不立文字とは、祖神様に対するSOSの真言です。
「以心伝心」とは、祖神の子供であると言う証明の心印です」
「人生」人が生まれ、生きる意義、目的は「悟りを啓く事」にあります。
しかし、人は肉体を自分(我)と誤解し、欲に奔走する別の生き方をしています。
その為、その戒めを説かれたのが「般若心経」です。
般若心経は本来、釈尊が悟りを啓かれた後、ご自分の後継者候補に舎利氏を選び
『悟り・極楽浄土』に付いて説いたものです。
しかし、舎利氏は解く事が出来ず後継者には成れませんでした。
後継者に成ったのは迦葉尊者です。
霊鷲山の説法後授けています。
その時の言葉が『悟りは教外別伝、不立文字、以心伝心、微妙の法門を付嘱す』
悟りとそれを伝える権限を与え、ご自分の最後の説法としています。
また、その時の言葉に『拈華微笑』というものがあります。
『拈華』を見て迦葉がほほ笑んだ、それを見た釈尊は、迦葉は悟りがどういうものか理解したと
判断しています。
拈華は般若心経の一説『色不異空 空不異色 色即是空 空即是色』を表現したものです。
その時の説法を迦葉等がまとめ上げたのが最高の経文と言われる『妙法蓮華経=法華経』です。
『悟り』は世間の一般常識から最も掛け離れた処にあります。それ故、身近に在っても嘘の一言で終わります。
その為、釈尊は『悟り』に付いては語らず只『功徳』を積む事を説いています。
それは『功徳』が満ちると自ずと悟りの縁へ引導される故です。
当時は、最高の人徳者のみに授けられていましたが、現在は弥勒佛の下生によりその門戸は広げられています。